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【要約/書評】本当の勇気は「弱さ」を認めること【ブレネー・ブラウン】

今回はヒューストン大学のソーシャルワーク大学院の教授である、ブレネーブラウンさんの書かれた「本当の勇気は「弱さ」を認めること」を解説していく。

 

この本は一言で言うと、「自分の弱さとの向き合い方」を教えてくれる本だ。

 

ここでいう弱さというのは、人から批判されたくないとか、恥ずかしいという精神的な弱さのことだ。

 

特にその恥という感情によって私たちは様々な自滅的な行動をとることが研究でわかっている。

 

自分が恥をかかされないために、逆に相手を攻撃知らり偉そうな態度をとることもあれば、恥をごまかすために自分のミスを他人になすりつけたりと、恥という感情はマイナスな行動につながりやすいんだ。

 

本書では著者が恥が何かということについて研究してきた結果や、そういう自分の弱さや恥とどう付き合っていくべきかということについて詳しく説明されている。

 

この本を通して、そんな自分の中にある弱さとの正しい付き合い方を知り、力を抜いて生きる方法を学んでいこう。

  

 

本当の勇気は「弱さ」を認めること

ただ批判するだけの人に価値はない。

 

称賛に値するのは、実際に競技場に立ち、埃と汗と血にまみれながらも勇敢に戦う人だ。

 

あるときは間違いを犯し、あと一歩というとことで届かないことがあるかもしれない。

 

だが彼らは、少なくとも果敢な挑戦をしたのである。

 

これは、アメリカ元大統領のセオドア・ルーズベルトが演説の中で話した言葉だ。

 

私たちは日々生活しているだけで、様々なリスクを抱えている。

 

何か新しいことに挑戦してみたものの、うまくいかず失敗することもあるだろうし、何かに向かって頑張っていけるのに周りからは認めてもらえず批判され、恥をかくこともあるだろう。

 

だから何かに挑戦するとき、傷つかないよう、完璧で誰からも批判されないような自分になってから競技場に立とうとする人が多い。

 

例えば英会話を始めたいなと思っていても、失敗して恥をかきたくないので、英会話のレッスンを受ける前に十分時間をかけて調べたり勉強してから始めようと考える。

 

そうしているうちに、結局英会話を始めるチャンスを逃し、貴重な時間を無駄にしてしまうことが少なくない。

 

だがしょせん人間は完璧になどなれない。

 

大事なのは自分の弱さや恥を受け入れ、ありのままの姿で競技場に立つということで、それこそが本当の勇気であり、称賛に値する果敢な挑戦ということだ。

 

SNSがナルシズムを加速させる

ナルシズムという言葉を聞いたことがあるだろうか。

 

ナルシズムと言うのは医学的には自己愛性パーソナリティ障害と呼ばれているが、ある研究によるとアメリカでは過去10年間で発生率が2倍以上増加しているという。

 

そして、ナルシストというのはこの障害を持っている人のことだ。

 

日本ではあまり診断されていないが、自分が好きすぎたり、逆に極度に他人におびえたりするなどの心の病気だ。

 

診断されていなくても、クレーマーとして社会の中でトラブルを起こしているケースは多い。

 

そして、このナルシズムの根っこにある感情が「恥」なんだ。

 

「本当の自分はみんなに注目され、愛されて居場所を与えられるような特別ですばらしい人間ではない」という不安がナルシズムという障害を生んでいるんだ。

 

多くの人は平凡であることへの不安に弱く、時としてその不安と自分は特別でありたいという欲求との区別がつかなくなってしまうんだ。

 

極端な話、自分の価値はSNSのいいねの数で決まると思い込んでしまう人もいるくらいだ。

 

そして、平凡は恥ずかしいという思いから、自分は特別だと思い込んでしまうのがナルシズムだ。

 

嫉妬や不満の原因は欠乏感

平凡な人生には意味がないと考え「私はこれで良い」と思えずに苦しんでいる人が、今の社会には増えている。

 

テレビやメディアでは有名人の豪邸や暮らしぶりが紹介され、つい自分の生活のみみっちさと比べてしまったりする。

 

だからこそ、コンビニ店員に偉そうな態度をとったりして、平凡で無力であることの痛みを和らげようとする。

 

しかし、そうした考え方は結局のところナルシズムにつながり心の痛みを悪化させ、さらには人とのつながりを破壊していくだけだ。

 

そしてこの問題の一番根底にあるのが「欠乏感」だ。

 

私たちは朝目覚めて「寝不足だ」と感じ、起きたら起きたで「時間がない」と感じ、夜ベッドに入ってからもその日できなかったことや得られなかったものを考えながら眠りにつくことがある。

 

そして人生の多くの時間を自分に足りないものについて考えたり、不満を言ったりして心配することに費やしている。

 

つまり、この何かが足りないという欠乏感こそ、嫉妬や人生への不満の原因と言える。

 

結局、欠乏感というのは「足ることを知らない」ということが問題なんだ。

 

欠乏感に対抗できるのは充足感

それでは、その欠乏感に対抗できるのは一体何なのか?

 

お金がいっぱいあるという豊かさなのか?

 

残念ながら、金銭的な豊かさでは欠乏感を埋めることは難しい。

 

欠乏感の根っこにあるのは、「恥」と「比較」だ。

 

完璧じゃない自分を恥ずかしいと思ったり、他人と比べてしまうことで、自分には何かが足りないという欠乏感を感じるんだ。

 

例えば、年収1千万円に上がったとしても、上には上がいるから、年収10億円の人と比較してしまうとお金が足りないと感じるだろうし、その人に年収を聞かれたり1千万円しかないから恥ずかしいという気持ちにもなるだろう。

 

それに、お金があってもどうにもならない問題も少なくない。

 

そんな欠乏感に対抗できるのが「充足感」なんだ。

 

これは自己肯定感ともいえるが、人生に確実なものがなくても、自分の弱さをさらしてリスクを背負いながらでも「私はこれでよい」と思えることだ。

 

古代中国の思想家、老子の言葉に「足るを知る」というものがある。

 

これは「何事に対しても満足するという意識を持つことで精神的に豊かになり、幸せな気持ちで生きていける」という意味だ。

 

逆に言うと、足ることを知らない限り、人はずっと恥や欠乏感を感じながら生きていくことになるということだ。

 

恥の正体はつながりが切れることへの不安

恥をかいたり恥ずかしい経験を話すのは何故つらいのか。

 

恥の正体は、人や居場所へのつながりを絶たれることへの不安なんだ。

 

私たちは心理的にも本能的にも人とのつながりや愛、居場所を求めるように生まれついている。

 

人とのつながりは愛と共に私たちが存在する理由であり、人生に目的と意味を与えるものだ。

 

恥と言うのは、自分がしたことやしなかったことが原因で、人とのつながりを失ってしまうのではという不安なんだ。

 

「どこにも居場所がない」とか、「自分には人とつながる価値がない」なんていう苦痛の感情から逃れるために「恥」という感情があるんだ。

 

具体例を挙げると、マッチングアプリなどで初めて仲良くなった相手と初めて会うときに、恥ずかしいなと思うのは「自分を見てガッカリされないだろうか」とか。、「嫌われて関係が終わるんじゃないか」という不安が原因なんだ。

 

恥と罪悪感と屈辱感は違う

恥の感情と似たものに罪悪感と屈辱感があるが、これらはまったく別物だ。

 

自分の価値観に反する行動をとってしまったとき、私たちは罪悪感を感じる。

 

それは不快な感情に変わりないが、そのあとの行動としては反省したり相手に謝罪したりとプラスの行動につながることが多い。

 

しかし、恥は破壊的な行動につながることが少なくない。

 

恥は暴力、攻撃、うつ、摂食障害、いじめなどにつながることが多いという研究結果があり、逆に恥が良い行動につながるというデータはない。

 

繰り返しになるが、人や居場所とのつながりを求め、自分がそれに値すると思いたいのは人間の本能的欲求だ。

 

恥を感じるとき、私たちはつながりを断ち切られたように感じ、必死で自己肯定感を取り戻そうとする。

 

だから恥によって心が傷つくと自滅的な行動に走り、他人に対して攻撃的になりやすいんだ。

 

あと、屈辱感も恥とごちゃまぜにされやすい言葉だ。

 

上司に「お前はダメな人間だ!」と言われた際に、「たしかに俺はダメな人間だ」と思えば恥の感情だが、「何でダメ人間呼ばわりされないといけないんだ!」と思うならそうれは屈辱感だ。

 

屈辱感も不快な感情だが、少なくとも心を閉ざしたり問題行動をとったり復習に走ることなく問題を解決しようとすることがほとんどだから、恥よりはマシなんだ。

 

人に話すことで恥から回復できる

生きている上で恥をまったく感じないなんて言うのは不可能だ。

 

大事なのは「恥」からの回復力をつけることだ。

 

これは恥を感じても本来の自分を見失わずに切り抜け立ち直る能力の事だ。

 

恥からの回復に大切なのは、その体験を受けとめて、誰かに話すことだ。

 

その体験と自分がその時どう感じたのかを話すことで恥のダメージから回復することができる。

 

逆に人に話せない恥ずかしい秘密を抱え続けてしまうと、どんどん恥の感情は自分の中で膨らんでいき、破滅的な行動をとるようになってしまうんだ。

 

自分の失敗談や恥ずかしい秘密を人に話すのは勇気がいることだが、信用できる相手に話すことで共感が得られれば、恥の感情から一気に回復することができる。

 

繰り返しになるが、恥と言うのは人とのつながりが切れることに対する不安なんだ。

 

だから、恥を信頼できる誰かと共有した時点で、不安と言うのは解消され、むしろ以前よりも強いつながりを手に入れられることが多いんだ。

 

だから、逆に一人で恥を抱えることは絶対にしてはいけないことなんだ。

 

完璧主義と言う盾を捨てる

足るを知り、「私はこれでよい」と思えるようになるのが理想だが、その邪魔になるのが「完璧主義」だ。

 

完璧主義というのは、目標達成や成長への努力ではなく、むしろ守りの姿勢だ。

 

完璧主義を目指す新知と言うのは、完璧にやることができれば非難や批判、恥による痛みを回避できるという思い込みなんだ。

 

その本質は向上心ではなく、人から褒められたという称賛の追求だ。

 

健全な努力と言うのは「どうすれば自分を向上させることができるか」と自分に目を向けるが、完璧主義は「人からどう思われるか」と他人に目を向ける。

 

だが、そもそも完璧というものは存在しないし、絶対に手の届かない目標だ。

 

どんなに時間とエネルギーを注いでも他人が自分をどう見るのかをコントロールすることなど不可能なんだ。

 

完璧主義というのは人から攻撃されないよう、人から褒められるようにという虚しい頑張りに過ぎないんだ。

 

この完璧主義から解放してくれる「私はこれでいい」という自己肯定感は、自分のすべてを受け止めることから始まる。

 

弱さや不完全さを受け止めない限り、ヘトヘトになりながら完璧な演技をし続けなければならないということだ。

 

まとめ

何かを失敗した時に隠したり、とっさに嘘をつきたくなるのは誰にでもある衝動だ。

 

でも、そんな弱い自分と向き合い、自分の中にある「恥」の感情を認めることで、僕たちは弱い自分を克服することができるんだ。

 

実際、何かをミスした時、失敗した時はチャンスなんだ。

 

名著「金持ち父さん貧乏父さん」では、そんな失敗してしまった自分に対して「人生があなたをつついている」と表現している。

 

貧乏になる人は、人生につつかれているのに気が付かないし、金持ちになる人は人生につつかれることを喜んで受け入れるんだ。

 

つまり、失敗することは何も悪いことではなくて、失敗という経験が成功を生むヒントになるんだ。

 

だから、自分が失敗した時、ミスした時は隠したり嘘をつくんじゃなくて、堂々とみんなに話すべきなんだ。

 

話すことでミスしたプレッシャーから解放されるし、周りの人に共感されたり、アドバイスされたりして良いことしかないんだ。

 

失敗してしまった時に人は傷つくのだけれど、それは他の人が貴方を傷つけているのではなく、意外とあなた自身が自分を傷つけているのではないだろうか?

 

そんな弱い自分とはさっさとおさらばして、ミスしても気持ちを楽にして生きてみよう。

 

まずは、今あなたが抱え込んでいる事、誰かに相談してみよう。

 

家族でもいいし、友人でもいい。

 

そんな事を話すのは恥ずかしいって?

 

大丈夫、あなたの周りに居てくれる人たちは、あなたが失敗談を話してくれたのなら、きっとこう思うに違いない。

 

「よく話してくれたね。嬉しいよ。」

 

だから安心して、今日の失敗談や、過去のミスをたくさん話してみよう。

 

きっと素敵なあなたに出会えるはずだ。

 

   

  • この記事を書いた人

ジェームス

神奈川出身。地方公務員(行政職)を10年勤務。 高校、大学と平凡な人生を歩み、安易な理由で入庁。以後、ポンコツ公務員として勤しむ。 趣味は登山、野球観戦。ヤクルトスワローズが好き。

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